Takeの2022年まとめ

1月

カナダで新年を迎える。留学して4ヶ月目。完全に自信を喪失し人生で一番苦しかった3ヶ月間から少しでも状況を好転させようと、フィットネスを習慣にし自信を持つことから始めた。自分に自信を持つと小さな挑戦を積み重ねることができ気心の知れる友達ができだす。

また3ヶ月間の生活で環境に慣れ英語も少し上達し簡単なコミュニケーションが取れるようになったのも大きいと思う。

1月21日からはDigital Marketingのカレッジに移行し留学した本来の目的だった授業が始まる。国際比率もよく、一緒のクラスになった日本人2人には精神的にも助けられまくった。語学学校の時はクラスのメンバーの入れ替わりが激しく深く相手のことを知るのが難しかったが、カレッジはクラス替えがなく自然と深く関わることができ各国の特徴やコミュニケーションの取り方をはじめ授業以外にも学ぶことが多かった。

ただ授業は少しでもぼーっとすると簡単に置いていかれるから死に物狂いで聞いた。

2月

毎日ひたすら予習と復習を繰り返した。授業要項に出てくるマーケティングの専門用語は調べて授業中に出てきた知らん単語や表現はメモって復習するようにしてた。えらい。

Youtubeのニック式英会話で英語の表現を毎日増やして日々少しづつ表現できる幅が広がっていくのを実感しながら過ごすことができた。

3月

ビザの更新が認められラーメン屋で働きはじめた。普段使えるお金に余裕が生まれ、BBQや外食の回数が自然と増えた。

自分のビザは週20時間の仕事が認められてたから、週3-4回朝10時から15時までバイトし16時から20時まで授業に行き土日は遊びに行ったり自分の時間に使ったりといった習慣ができた。

今月の先生は人として凄く尊敬できる人だったけど、教えるのは上手ではなくクラスのみんなはフラストレーションが溜まっていた。そこでクラスチャットで話し合って校長に抗議文を作成し署名していった。誰かが文章を作り始め提出するまで爆速だった。その後話し合いの機会が設けられ一旦は解決した。

今まで微妙な先生がいてもそんな行動を起こすこと以前に話し合いの機会を求めることもしてこなかったので、自分達の意見を主張して解決するっていう生の経験ができた。めっちゃ衝撃的な出来事だった。

4月

気温も上がり天気も晴れる日が増え、毎月のバイト代で使えるお金にも余裕ができ、自分の英語力も日常会話なら不自由を感じることも少なくなり日々の日常もまさに春を迎えた。

週末になるとバンクーバーから少し離れたビクトリアに行ったり、カナダでは国技のアイスホッケーを見に行ったりBBQしたりと留学生活を満喫し、毎日が楽しかった。

留学から半年以降が英語力的にも、環境に慣れるといった意味でも楽しくなってくると言われていたまさにその通りだった。

5月

5月に入ると留学当初に思い描いていた通りの留学生活を送っていた。そして自分と向き合って将来したいことや方向性を整理したり作業する時間が増え、自分のルーティンにカフェが追加された。

朝起きて昼すぎまでカフェに行き、夕方から授業を受け、その後ジムで筋トレするのが習慣になっていた。

バイトの日でも10時までバイト先の横にあるカフェに行くほど、あの落ち着いた環境が大好きになってた。週3回も4回もカフェに通うにつれてコーヒーやラテが大好きになりハマった。

授業後のジムもクラスメイトの何人かと一緒に行くため毎日が合同トレーニングだった。体重も72キロになり留学してから6キロ増やした。

写真はホームステイで一緒にBBQした時のやつ。

このホームステイ先はいきなり5月に家売るから出て行け言われて新しく家移った。基本的には優しく部屋もよかったがママが少しサイコパスやった。

6月

5月と同じルーティンで、週末はクラブに行ったりシアトルで大谷翔平見に行ったり5sos,Avril,shawn mendesのライブなど留学が残り2ヶ月になり海外ならではの思い出を沢山作った。

人生で初めてのヌーディストビーチではサングラスして平静を保つのに必死だった。これがダイナマイトボディかと衝撃を受けた。

この時くらいには先月くらいからの自己分析の結果、帰国後はウェルネスをテーマにした旅行会社を作りたいと思うようになっていた。旅行業やウェルネスについて勉強しイメージをスライドを作って整理していった。

7月

8日にはカレッジの授業がラストを迎え、今まで一緒に授業を受けてきたクラスメイトとはみんなで先生おすすめのピザやパスタを食べに行き、深夜までクラブで踊った。いつも綺麗でクールなスペイン人のアイリーンの真っ赤な口紅にちょっとドキドキしてた。

卒業後はカナダで貯めたお金で毎週旅行に出かけた。シアトル、ビクトリア、バンフ、カルガリー、メキシコに行った。カナダ生活の楽しさは右肩上がりでこの七月がまさに最高頂だった。

クラスメイトだったメキシコ人の兄の結婚式ではアメリカ人とメキシコ人の国際結婚で訪れたメキシコではカルチャーショックばかりで刺激的な毎日だった。しっかり下したお腹によって1ヶ月半うんこが固まることはなかった。

シアトルでは携帯をパチられ携帯のないまま帰国した。コロナの手続きとかで少し困った。

8月

ついに日本に帰国した。10ヶ月友達や家族、住み慣れた環境から離れるのは初めてでいざ帰ってくると居心地の良さに改めて自分の居場所があることを実感した。

洗濯物が洗濯機に入れるだけで親が畳むところまでやってくれること、美味しいのご飯が毎日食べれること、お風呂に毎日浸かれることなど今まで当たり前だった環境により感謝をするようになった。

そしてこの月は旅行会社立てるために必要な国内旅行業務取扱管理者という資格の試験日が9月4日に迫っていたので勉強を始めた。またカレッジの卒業論文を制作してZoomで発表をしなければならなかったので自分の将来やりたい旅行会社をテーマに作った。

毎日資格の勉強と卒論の作成やそのミーティングに追われ地味に忙しかった。

9月

資格の取得とプレゼンを無事に終え、和太鼓の後輩たちの演奏を見に行った。そこで1年間で見違えるほど上達し完成度の高い演奏を見て凄く感動し、無性に和太鼓をもう一度だけ叩きたくなった。

引退しOBとなっていたけど図々しくも12月の自主公演で1曲演奏することを決めて、10月から練習を始めることにした。部員の8割が女の子だからこそ男だけで編成し男らしさを表現することをテーマに定めて1人ずつ協力してもらうために口説いていった。

結果8人の現役生と社会人1人の協力を得ることができた。

そして週末だけでまとまったお金を稼げる結婚式バイトも初めた。いろんな形の結婚披露宴を見て人生で一番幸せと言われる日を一緒に作り勝手に幸せをもらっていた。

個人的には、ウェルネスについて学びアウトプットの場としてブログを開設した。とりあえず10記事を目標に書いていった。10記事を到達したところで、ウェルネスを体現している自分を発信した方が自分がもっと楽しめると思った。

そこでどう発信するのが自分が一番楽しめるのか模索し始めた。

写真はめっちゃ感動させられた演奏会。

10月

自分が楽しみながらウェルネスを体現している様子をどう発信するか模索していたがその答えは案外簡単に見つかった。それは留学中に知ったズンバだった。

ズンバは今までやったことがなかったけど、カナダでのクラブでよく週末にラテン系の友達に教えてもらいながらも、言語や国籍の違いを超えてその曲をただ一緒に楽しんで踊るあの楽しさを、日本でもズンバならできると思って始めることにした。

ズンバは経験がなかったのでそれが自分がほんまに楽しいと思えるのか知るために後輩と一緒に「despacito」を踊った。しっかり楽しかった。

僕のズンバに対する思いは以下の記事で詳しく書いてるのでまた読んでみて下さい。

TAKESTYLE |
ズンバが熱すぎる/

また発信を習慣づけるために日記をブログ上に残していくことを始めた。ついでにSNSを全部開設して動画編集も学び始めた。

この写真は社会人として働きながら芸人に挑戦してる大学の先輩のライブに行かせてもらった時の写真。まさに挑戦する人とそれを応援する人だけの空間でめっちゃ雰囲気よかったしエネルギーもらえた。

11月

いざズンバを中心にウェルネスを発信しようと思うと、デジタルマーケを学んだものの自分には実社会での経験が無いことと、収入の軸が現状ではバイト代しかないことやウェルネスの知識がまだまだ乏しいことから、旅行業登録に必要な100万円を貯めるまでの計画を練り直した。

そこで半年後に実現していたい自分が理想とする収入の軸を3つ挙げてみた。それはデジタルマーケ、ウェルネスに特化したコーチング、ズンバだった。

そしてそれぞれ準備を始めることを始めた。

まずはデジタルマーケ。一概にデジタルマーケと言っても広く、カナダで学んできた広く浅い知識の中で何か強みを作りたいと思った。そのためには実社会での経験を積める環境に身を置くのが一番速いと思い社会との繋がるきっかけを探し始めた。

ウェルネスのコーチングに関しては資格に向けて勉強するのが最速だと思い、Udemyでコースを探した。まさに探していたコースが見つかり、尚且つ使う機会が減っていた英語での授業で、受講することを即決した。

ズンバはただ自分で練習した。発信に備えてYoutubeやTikTokでも勉強した動画編集で少し投稿した。自分のルーティンやVlogを編集した。シンプルに楽しかった。ただもう少しマーケティングの実務経験を得てから始めたかったので一旦発信することはやめた。

この月は垣根涼介の小説にのめり込んだ。移動時間は全てこの人の書く小説に費やした。

写真は梅田で4ヶ月ぶりにタコス食べたメキシコ料理屋さん。タコスよりスイーツ激ウマやった。

今月は地元の親友、大学の親友がそれぞれアイルランドとに留学になって結構寂しくなった。

12月

デジタルマーケで経験を積める環境を得るためにきっかけをたくさん作った。その中で大学のOB会の会長にコンタクトを取り、やりたいことを話したところWEBマーケで活躍されている経営者の方を紹介していただきその方のもとでお世話になることになった。

具体的に今はSNSの運用、HP制作を担当させてもらい順調に実務経験を積めている。その中で特にクライアント様との対応やメールでの言葉遣いは今まで曖昧な知識で社会人の方とコミュニケーションをとることが多かったが、社会人としての型も教えてもらいながらできてる。

来月にはローカルビジネスのデジタルマーケティングを強みにして自分のクライアントを持てるようにしたい。営業の月にして個人事業主として一気に飛躍する月にする。

クリスマスイブには和太鼓の自主公演があり10月から練習した曲を披露した。最高の出来だった。これで僕の太鼓に対する熱は完全燃焼した。留学やコロナを挟んだが和太鼓からは多くのことを学び、面白い先輩や後輩もできた。これからは自分のキャリアに全振りして生活しようと思う。

総括すると、今年1年間は留学から始まり、デジマを筆頭に多くのものを学び経験し、沢山の自分の好きな価値観やモノに出会うことができました。そしてその中からやりたいこと・なりたい姿が具体的に見えてきた年でした!

2023年は今やりたいことを形にして、多くの人にその価値が届くようにしたい!

最後に、2022年もお世話になりました。2023年もよろしくお願いします!

Take.

タイトルとURLをコピーしました